機会平等
論語の一節に「子曰。性相近也。習相遠也。」という言葉があります。
性(せい)とは、人間が生まれながらもっている性質のこと。
習(ならい)とは、生きている間の習慣や教育のことです。
上記の意味は、人間が生まれながらもつ性質は大差ないけれど、その後の習慣や教育で大きく異なってくる、という意味です。
先天的な疾病を患っているとか親がとんでもなく裕福な資産家でもなければ、日本国内のほとんどの人間はほぼ同じスタートラインから始まっています。
いわば機会平等です。
しかしながら、運転免許を手にした人すべてが素晴らしい運転技術を身につけるわけではありません。
一生ペーパードライバーの人もいるでしょう。
免許入手で終了するわけでなく入手してからどういうふうに過ごせるかが、ドライバーとして大事なことかもしれません。
書店にいけば運転技術を上達させるための書籍も販売されていますし、JAFでは交通安全講習会が開催されています。
運転に限りませんが、毎日練習して徹底的に基本をマスターすることでしか何事も上達しないものだと思います。
とはいえ、一生懸命やったからといって結果が伴わなければあまり意味はありません。
仕事や学業でいくら努力したと主張しても、それが実績や点数に結びつかなければ誰も耳を貸してくれないのです。
もし努力するのなら段取りをよく考えて、なるべく早いうちに一定の結果を出せる行動をとると良いでしょう。
機会は平等です。
あとは努力の方向性と量を間違えなければ、たいていのことは達成できるものです。
大事なことは、そういう習慣や教育を身につけていけるかです。
追記(2012.01.23記)
機会平等を勘違いしてはいけません。
相応の努力もせず機会平等といって権利を主張するのは、道理がかなっていません。
もし努力していても機会が与えられないときは、それはあなた以外にもっと努力している人達がいるからです。
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